Spilled Seed
水がたらいにあけられる音でククールは目を覚ました。ひんやりとした空気が、開いたままの窓から室内へと流れ込んでくる。
辺りはまだ薄暗い。マルチェロはこんな早くから洗濯をしているのだろうか。
ククールは部屋の中で最低限の身支度を整え、少し湿った地面を踏みしめながら、井戸水をもらいに家の外に出た。
初夏に差し掛かろうという時季だが、朝はかなり冷え込んでいる。ククールは寝ている間に捲れていた服の袖を伸ばし、納屋のそばにいる人影に近づいた。
マルチェロは納屋のひび割れた板壁の前で、たらいの前にしゃがみ込んでいた。泡立った水の中で、何かを一つだけ洗っている。近づくと、それが下履きだとわかった。
「おはよう」
マルチェロはククールの挨拶を無視した。薄暗い朝靄の中、その横顔は硬い。
「……もしかして、寝てる間に出るアレか?」
ククールの言葉に、一心不乱に布を擦るマルチェロの手が止まった。灰汁を含んだ布が、ぎゅっと絞られていく。
「溜めすぎるからそうなるんだぜ。適当に抜いたほうがいいって」
「……別にこれに困ることはない。ただ、目覚めると不快なだけだ」
マルチェロの低い声には、何の感情も乗っていなかった。マルチェロはたらいの汚れた水を川へ捨てると、そばに置かれていたバケツから再び水をあけた。
ククールは井戸の滑車のロープを引き上げ、顔を洗って口を漱いだ。よく冷えた井戸水の感触が心地よかった。
マルチェロは下着を濯ぎ終えたのか、ククールが納屋の前に戻る頃には、たらいの水を慣れた手つきで捨て、音もなく納屋の奥へと消えていった。
それから、その日の寝る前まで二人は顔を合わせなかった。
マルチェロは納屋で装備を整えた後、魔物退治の依頼をこなし、日没後、硬い黒パンと自ら作ったスープを一人分食べ終えて、眠りにつく頃だった。
ククールは友人と飲みに行った後、やや酔っ払って帰宅し、残っていたパンとスープを素早く食べた。
ククールの意識の奥底では、朝のマルチェロの硬い表情がちらついていた。
ククールはここ何年も夢精していなかった。以前は女性と一夜を共に過ごすことも多かったし、マルチェロと同居するようになってからは自涜で対処している。
あのマルチェロが、下着を洗っている様なんて隙を見せるだろうか。何か事情でもあるのかもしれない。
歯磨きを済ませたマルチェロが自室に戻ると、いつの間にかククールがマルチェロのベッドの上に座っていた。ブーツを脱ぎ捨て、素足を宙にぶらつかせている。
「……勝手に部屋に入るな」
マルチェロの声は普段よりも一層低く、警戒とわずかな苛立ちが滲んだ。
「ちょっと、気になってさ」
ククールはそう言って、黙り込んだ。俯いていて表情は見えないが、ククールの呼吸はいつもより浅い。
壁に背をつけ、腕組みをしたマルチェロはすぐに痺れを切らした。
「なんだ。用件を早く述べろ」
「……あんたって、オナニーするのか?」
ククールは奇妙な平然さでもって問うた。
マルチェロは鼻で嗤った。
「わざわざ、それを聞くために部屋に? ……しない。無意味だからな」
「無意味?」
「吐精しない。……対策にはならない」
「ああ」ククールは息を漏らすような相槌を打った。
「……用は済んだだろう。早く自分の部屋に戻れ」
マルチェロの言葉には明確な拒絶があったが、ククールは薄く笑みを浮かべて言った。
「やり方がさ、おかしいんじゃねえの? ……抜いてやろうか」
ククールの瞳には、いたずらな光が宿っている。わずかな沈黙の後、マルチェロは焦ったように目を見開いたが、誤魔化すように大きくため息をついた。その表情には、困惑と嫌悪が入り混じっている。
「……気でも狂ったのか」
「そう言うと思ったけど……あのさ、ホントに溜めすぎるのは良くないんだぜ? 出来るならやった方がいい」
ククールの声色と抑揚は愉しげで、同時に真剣さも持ち合わせていた。
「部屋から出ていけ」
ククールはマルチェロの言葉を無視して続けた。
「やっぱり触られるから、あの発作が出ちまうのかな。見られるだけなら平気か? ……どっちだと思う?」
ククールは、マルチェロの反応を試すように問いかける。その言葉は、マルチェロの心を揺さぶる静かな挑発だった。
マルチェロはククールの薄青色の瞳を睨めつけた。
「……正気か? 確かめてどうする? 治療の一環とでも言いたいのか。……私が夢精しようが、お前には全く関係ないだろう」
「あんたには、なるべく健全な生活を送ってほしいだけさ。教会とは違う、俗世のな」
翠の瞳を、ククールは上目遣いにじっと見つめ返した。マルチェロは居心地悪そうにに腕を組み直し、こう言った。
「……お前と話していると、頭がおかしくなりそうだ」
マルチェロはククールを説き伏せることを諦め、弟の言葉に乗ることにした。以前ククールに〝発作〟を見られ、やや自暴自棄になっていたこと、昨夜の夢に腹違いの弟が現れたことが、マルチェロがククールの言葉に乗った原因の一部かもしれない。意識下では理解できない何かが、彼らを突き動かしていた。
マルチェロは机上の油皿の芯に火を灯した。その光は月明かりよりもさらに弱く、部屋の中にぼんやりとした陰影を落とす。部屋の空気は、先ほどまでの緊張が溶け、わずかに湿った熱を帯びてきた。
マルチェロはリネンの下履きを畳み、ベッドの上へなげやりに放った。身につけているのは腰紐で縛ったチュニックと靴下だけになった。マルチェロの脛は月光に照らされ、青白く輝いている。
ベッドの枕側にマルチェロが足を投げ出して座り、ベッドの足側でククールはあぐらをかき、くつろいでいた。アイスブルーの瞳は観察するようにマルチェロの全身を捉えている。
「やっぱり萎えてる?」
ククールの直接的な問いに、マルチェロの頬がわずかに紅潮した。重ねたボルスター枕で背を支えながら、マルチェロはチュニックの腰紐を緩め、裾から下腹部へと右手を伸ばした。
マルチェロの視線が、ククールの視線と交差する。ククールの問いには肯定を示しているようだった。
「ま、この状況で大きくしてたらおかしいか」
ククールは単なる感想として言葉を漏らしたが、マルチェロの眉間のしわは一層深くなった。
「……黙れ」
マルチェロは無意識に歯を食いしばりながら、下腹部に手を伸ばした。羞恥と躊躇を表現しないような自然な動作速度で、右手を上下に動かした。規則正しく、乾いた摩擦音が聞こえ始める。ペースはやや遅いくらいだった。
あの兄が、オナニーをしている……。
聞き慣れた音のはずだが、目の前の男から聞こえてくるのには違和感があった。
ククールはあぐらの上に頬杖をつき、やや前屈みになって、マルチェロのチュニックの陰を覗いていた。ちらちらと陰嚢が見えるような気がする。握り込まれているので全体像までは見えないが、動きは鮮明に伝わってきた。
自身で言い出したこととは言え、現実感がなかった。なぜマルチェロは自分の言葉に従っているのだろうか……と、ククールは思った。
すぐにククール自身も兆し始めたのはわかっていたが、今はどうでもよかった。目の前の光景を処理するだけで精一杯な上に、取り留めもない思考も止まなかった。
修道士が寝るときに腰紐やベルトを付けることを義務付けられているのは、自涜を禁止するための予防措置だと言う。だが、禁じられているにも関わらず、多くの修道士が自涜の方法を知っている。そもそも、自涜の語源となった聖書の登場人物は〝外に出した〟だけで自涜をしたわけではない。教会の教えは深く考えれば考えるほど矛盾に満ちているが、そこを埋めるのが神の愛なのかもしれないと、ククールは不徳な修道士が自涜後に陥りがちな思索を再発明していた。
マルチェロは仰向けのまま片膝を立て、ククールの視線を遮った。ククールはベッドの中心に近づき、マルチェロの配慮を無意味にした。
大した動きがあるわけでもなく、服装も家で見慣れたものだが、ククールはマルチェロから目を離せなかった。
ラインダンスやストリップショーなんか比じゃない。わずかに息を荒げ、腕を動かしているだけのこの男に、ククールは激しく欲情を覚えていた。
マルチェロの額には、汗に乱れた髪が何本か張り付いていた。首筋も赤みを帯びている。
「少し暑いな、今日」
ククールは興奮を抑えつつ、小さく呟いた。マルチェロのもみあげから一筋の汗が伝い、チュニックにぽたりと落ちた。チュニックに薄く染みを残した汗が、妙に生々しくククールの視覚に焼き付く。
マルチェロは目を固く瞑った。睫毛が小刻みに震えている。
貴族の家で個人的な祈祷を行うとき、ククールは今のマルチェロのような目に遭うこともあった。暇を持て余した貴族は、修道士や聖堂騎士にわざわざ不道徳なことをさせるのが好きなのだ。マルチェロのような男は、貴族の格好の玩具にされていたことだろう、とククールが想像していると、摩擦音が湿り気を帯びてきた。
「服、めくって」
ククールの声は、命令とも懇願ともつかない、有無を言わさぬ響きを帯びていた。マルチェロは黙って、チュニックをゆっくりとたくし上げた。
マルチェロの屹立した性器には、特におかしい部分はなかった。汚れているわけでもなく、大きさはククールと同じくらいで、色は明るめだった。下生えも整えられており、衛生的にも問題はなさそうだ。
「変なところは無さそうだぜ。オレと変わらない」
ククールは淡々と告げた。
「……黙れと言ったはずだ」
マルチェロは目を伏せたまま、小さく言った。声にはわずかなゆらぎがある。
同じ家に住んでいれば、兄弟の自涜を見てしまうことはあり得るかもしれないが、真正面から、しかも近くで見ることはまずないだろう。
マルチェロは眉を寄せ、機械的に手を動かしている。わずかにそのペースは上がっている。足は落ち着かない様子で、かすかに足踏みをするように動いていた。
兄の自涜を真正面から見るという行為――これは、ククールがこれまでに経験したあらゆる性体験よりも、間違いなく淫靡だった。
差し込む月光が、マルチェロに落とす陰の形を変えるのにククールは気づいた。机の上の油皿の芯もすでに燃え尽きそうだ。水音と衣擦れ以外に、木のざわめきや虫の声までもが聞こえてきた。
四分の一時間は経っているだろうが、マルチェロは一向に射精する気配がなかった。
「……このくらいやってれば、オレなら出してるかな。やっぱ出ないのか」
頬を上気させたマルチェロは手を止め、用意していたらしい濡れ布巾で手を拭った。
「だから、意味がない……おかしなところなど、何も無いだろう。気は済んだな。私は汗を流してくる」
マルチェロは服の乱れを直して立ち上がり、棚から洗濯済みの下履きを取り出した。
ククールは自分の屹立に気づかれないように上から服を被せ、小さく呟いた。
「うーん、遅漏か……脚を伸ばしてやってたり、別のところを一緒に触ってたりとかだと出づらいんだよな」
マルチェロは図星を突かれたように、棚の服を取り落とした。
……心当たりがあるのかもしれない。この男の傷は、どこまで深いのだろうか。
「へーえ? なんか他にやってたのか。どうやって?」
マルチェロは服を拾うと、ククールの方に向き直って言った。
「……これ以上、辱めを受ける気はない」
その表情は苛立たしげだったが、声色には動揺が見えた。
「俗世で暮らすんなら、夢精ばっかしてたら困るだろ?」
これはククールの本心だったが、ただの好奇心でもあった。この男がどんな体験をしてきたのか、知りたくてたまらない。たとえ兄の心の傷を抉ることになったとしても。
マルチェロは呆れたように息を吐き、こう言った。
「射精すれば、俗世の健全な男になるのか?」
「……うん。ま、そうかもな」
ククールはマルチェロの言葉にわずかな笑みを浮かべた。マルチェロは左手で目頭を揉んだ後、ククールを見つめて言った。
「……お前、気が付いているのだろう。まあ、いい。そこまで私を辱めたいなら、挑発にのってやろう」
マルチェロは取り出した下履きをゆっくりと棚に戻した。
ククールもマルチェロも奇妙な熱に浮かされていた。好奇心が二人の心をかき乱していた。
先ほどまでと同じく、二人はベッドの上で向かい合った。距離はやや近くなった。
マルチェロは机の引き出しから、蓋のついた小皿を取り出した。蓋を開けると、中には軟膏のようなものが入っていた。おそらく潤滑油だろう。
マルチェロはククールに顔を向けたまま四つん這いになり、腰を高く上げた。ククールはそれを、あくまで冷静に見つめていた。
マルチェロは指に軟膏を取り、チュニックをめくった隙間から自らの後孔に差し入れた。
「う……」
マルチェロが小さく呻いた。
ククールは予感していたものの、マルチェロの行動に動揺せざるを得なかった。視線はマルチェロの指の動きに釘付けになり、喉の奥が乾く。
後ろを使わなければ、達せないのか? あのマルチェロが? 「ふ、うっ……」
目の前の出来事と、こうなるまでの過程に思い馳せると、ククールは全身が粟立つような熱に包まれた。
「前も触りなよ」
ククールの言葉に、マルチェロはシーツに顔を埋めるようにして、肩で自重を支えると、左手を下腹部に伸ばした。
「ぐ! う……」
マルチェロの肌は赤く染まっている。束ねた黒髪は乱れ、汗で背中に張り付いていた。
苦しそうだが、マルチェロは器用にも二箇所からの快感を得ていた。慣れているわけではないが、どうすれば良いかを知っているような手つきだった。
マルチェロの右肘あたりに力が入り、中で何かを探すように動かしていることがわかる。以前酒場で出会った男娼から、女でいうところの〝良いところ〟が男にもある、と聞いたことをククールは思い出した。
下履きから先が飛び出るほど、ククールの陰茎はきつく勃起していた。先走りでしとどに濡れた下履きを下ろし、ククールはあぐらをかいたまま自涜を始めた。握った陰茎は、全身の血液が集まっているのかと思うほど、硬く張り詰めていた。
自らのものでない水音に気づき、マルチェロは呻きながらも、ゆっくりとククールの方に目をやった。
「お前……」
「……普通のオナニーだよ。もっと近くで見る?」
ククールはあえて平坦な口調でマルチェロに告げた。
兄をオカズにすることが全く普通じゃないことは分かりきっていて、思わず笑いが込み上げてきた。
「……まったく、正気じゃ、ない。お互いに……な」
マルチェロも小さく鼻で笑った。
ククールは、うつ伏せになったマルチェロの痴態を眺めていた。雲に遮られた月光が、間隙を縫っては幾度か二人の身体を照らした。自涜を始めてから、どのくらいの時間が経ったのかはもうわからなかった。
苦痛に耐えるかのごとく、マルチェロは快楽に悶え苦しんでいた。窮屈に折りたたまれた背は小刻みに震え、シーツに半分ほど埋もれたその表情は、羞恥と快感に浮かされたようだった。
自涜を弟に観察され、あまつさえ弟自身の自涜の種にされている現実は、マルチェロの心に呪いのような背徳を生んだ。
ククールは膝立ちになり、チュニックの裾をめくると、腰をぐっとマルチェロの顔に近づけた。雄臭い匂いがマルチェロの鼻腔を擽った。
「こんな、ものをッ……近づけ、るな」
「オナニーくらいどこでやったって、一緒だろ?」
ククールは詭弁を弄した。
マルチェロから、ククールの陰嚢の中心にある縫線が見えるほどの距離。ずっしりとした淫猥な熱が顔に放射されるように思えて、マルチェロはククールの下腹部から顔を背けた。しかし、彼の耳には摩擦による水音が近づき、その熱から逃亡することは能わなかった。後孔と違い、開放されたままのそこは露骨な快楽を突きつけていた。
二人が手を動かすたびに、熱は高まっていった。血液が下腹部に集まり、頭痛さえしてくるほどだった。
「なあ……さっきみたいにさ、起き上がってやってくれよ」
全身を赤くしたマルチェロを見下ろしながら、ククールは言った。
マルチェロは何も言わず、再び布巾で両手を拭うと、うつ伏せの姿勢からゆっくりと上体を起こした。
「上も脱いで」
「調子に、乗るな」
そう言いつつも、マルチェロはチュニックを脱ぎ捨てた。
薪割りや畑作業だけで鍛えられたとは思えない、量感のある上体があらわになった。少し傷跡はあるが、左右均等の美しい身体だった。特に胸筋と肩の筋肉は、現役の騎士や傭兵にも劣らないだろう。胸の尖りはあまり目立たない色だったが、初夏の空気に晒されてか縮こまっていた。胸元や脇の毛はきれいに整えられている。
服の襟ぐりで引っかかったのか、髪を束ねる紐がほどけた。結び跡の残る黒髪がふわりと膨らむ。髪紐を口に加え、マルチェロは髪をまとめ始めるのを見て、ククールは呟いた。
「下ろしたままがいい」
マルチェロはややあってから、後ろ髪を耳にかけ、紐を手首に結び、少し震えたような声で言った。
「女のようにでも、見えるのか」
自嘲するような声色に、ククールは面食らった。前にもマルチェロが自分は女ではないと言っていたことを思い出した。そんなことはわかりきっているのに、何が引っかかっているんだ? 「……いいや? 正真正銘、男だな。レディってのはもっと線が細いし、こんなわかりやすいもんついてないからな」
ククールは指で軽くマルチェロの性器を弾いた。
「触るな……ッ」
「ごめんごめん。自涜だからな。触っちゃまずい」
そう言いつつ、ククールはマルチェロの左手の甲の上に、指を組む形で右手を重ねた。手の甲は汗にしっとりと湿って、ククールの手よりも冷えていた。
「……このまま、さっきみたいに続けなよ」
真正面から、息がかかるほどの距離でククールは告げる。
マルチェロは躊躇いつつも、左手で性器を握り込み、右手で後孔への刺激を再開した。
ククールも同様に左手で性器を握り込んだが、そのまま右手はマルチェロの手に合わせ動かした。指は水かきから指の骨の間をなぞり、こそばゆい快楽を齎した。
しばらくそれぞれの手で性器を扱いていたが、やがて剣を交えるように、二人の陰茎は密着した。
ククールは両手で楕円を作り、二本の茎を握り込んで、上下にじゅぶじゅぶと動かす。先ほどまではお互いに利き手ではなかったため拙い動きだったが、ククールの利き手が加わったことで、慣れた手つきに変わった。卑猥な水音を立てながら、裏筋を擦り付けるように、腰を動かした。
「なあ……熱いな。あんたの」
「はなれ、ろッ……こんな、ものは……」
マルチェロは、それがもはや自涜ですらないと言葉を続けたかったのだろうが、ククールが左手で屹立の先端を円を描くように撫でると、唇を噛んで黙った。
「ここ、ぱくぱくしてる。周りも、泡立ってるな」
「お前も、同じッ、だろう……」
二人とも、鈴口からはとろとろと先走りが漏れ続けていた。
「ああ……同じように、熱いんだろうな……あんたの中も」
ククールはマルチェロの耳元で囁いた。マルチェロの汗ばんだ首筋から、精油の残り香が立ち上る。
「イイところって、どの辺りなんだ? この奥、なのかな……」
ククールはマルチェロの臍の下の、ちょうど陰毛が途切れるあたりを指でなぞった。マルチェロの臓腑の中の、柔らかく綻んだ肉壁を想像し、ククールはぶるりと背筋が震えた。マルチェロも、精嚢の裏側にある、腸壁のなめらかな突起を自らの指で感じ取っていた。
「あッ……なぜッ、こんな……」
「さっきも答えただろ。健全に……なってほしいって」
この建前が矛盾しているのは分かっていた。健全な普通の兄弟はオナニーも見せ合わないし、兜合わせもしないだろう。
部屋に規則的な水音と肌が擦れる音が響く。二人の息遣いが次第に荒くなり、空気の密度が増していく。互いの吐息が絡み合い、それが熱となって肌に触れる。視線が交錯するたびに、制御できない熱が腹の底からこみ上げてくる。
「んッ……ふッ、あ……」
マルチェロの声は低く、甘さを帯びていた。
「はッ……もう、出そう……」
ククールはマルチェロと額を合わせ、震える睫毛を見つめた。
唇が触れそうな距離。吐息は熱いが、鼻息がかかると少し冷たかった。
ククールから口づけはしなかった。
あの発作のきっかけにならないかが、気がかりだった。心を過去に囚われ、何かに怯えて謝る兄の姿はもう見たくない。それなのに、こんなことを始めた自分の身勝手さに腹が立った。
寝たくなれば誰とでも寝ようとしてしまうのは、自身の悪癖だと理解している。この兄のことは、とにかく大切にしたいと思っているのに、お互いの過去の傷がぶり返して、毎回おかしなことになってしまう。マルチェロも何を考えているのかわからないが、こういう流れになってしまえば、あまり拒まない。
自涜であれば発作の原因にはならないのか、確かめたいと思ったのは本当だ。さすがにマルチェロも自涜を見せる経験までは無かったのだろう。あの発作は何が引き金になるのだろうか。キスとセックスなのか。
取り留めのない問いが、ククールの脳裏を巡る。
この男を知りたくて、たまらない。熱が冷めてしまわないか、不安で仕方なかった。早くこの熱のまま、二人で果ててしまいたい。
焦りと興奮から、ククールは手の動きを早めた。マルチェロの全身が、ククールのもたらす快感で小刻みに震え始める。左手で握っていた性器は後孔への刺激によりやや萎えているが、右手の指では中のしこりを一定の間隔で押し続け、激しい快楽を得ていた。
ククールはマルチェロの性器が少し萎え始めたことに気づいたが、マルチェロの表情を見て確実に快感を得ていると確信し、わずかに口角を上げた。
「気持ち、いい……んだよな……萎えてるけどさ……」
「あ……ッ、うアッ……!」
マルチェロの呼吸は途切れがちになり、喉の奥からは押し殺したような呻き声が漏れている。
合わせた額が汗に滑った。
マルチェロの視線は定まらず、かすかに潤んだ瞳が、ククールを捉えようとして揺れた。腰は浮き上がり、快感に耐えきれず、ときおり堪えきれない嗚咽が漏れた。
「ぐッ……うあッ」
二人の目線が合う。
眼前の男は果てる直前特有の、少し不機嫌そうな表情を浮かべている。お互いの瞳に映った自身も同様に。
それを見てとった刹那、マルチェロは懺悔するかのように、ククールに口づけた。啄むような、短い口づけだった。
マルチェロから何をされたかに気がついたククールは、少しだけ動きを止めた。
諦めたように、マルチェロは嗤っていた。その目元は、秘密を暴かれた子供のような悲しさと軽蔑に満ちていた。
窓からの月光は雲に隠され、もう差し込んでいない。
ククールにはマルチェロの笑みからその感情を推し量ることは出来なかった。何を考えているのかは分からないが、遅れてやってきた爆発的な熱がククールを襲った。勢いに任せて、ぐちゃぐちゃとした手の動きを再開する。
「あ……! 出る……! 兄貴っ……」
ぞくぞくとした快感が駆け上ってきて、ククールの性器の鈴口から、勢い良く精液が溢れ出た。マルチェロの臍にそれがかかり、腹筋の溝を伝っていく。
「ふ……うぅッ……」
ほぼ同時に、唇を噛み締めたまま、マルチェロも射精していた。ククールとは対照的に、前立腺の刺激によって少し柔らかくなった性器から、こぽこぽと勢いなく精液が裏筋を伝っていく。
「……何だ、それ? エロ……」
「う……あぁ、だま、れ」
「後ろ触ると、そんなふうに出るのか……」
マルチェロは、ゆっくりと後孔から指を抜いた。身体は小刻みに震え、その瞳は焦点が定まらず、潤んでいる。
「……あれ。もしかして、まだちゃんとイケてない?」
「……なッ……わけが……」
マルチェロはわずかに首を横に振ったが、ククールはそれを見逃したふりをした。
「ふうん。今更だけど、もうオナニーじゃないな。でも、ちゃんとイッた方がいいよな?」
ククールはマルチェロを背中から抱き寄せ、亀頭を掌で包み込むように撫でた。マルチェロの体がびくりと跳ねる。
「あ……アッ! や……やめろ、もう……」
「ほら、ちゃんと出せって……」
マルチェロの精液の滑りを借り、ククールは茎の先端を手のひらで撫でるように責めた。
「もう、やめて、くれッ……」
ククールはマルチェロの肩に頭を預け、マルチェロの羞恥に紅くなった頬を眺めた。
「嫌か? ここ……弄られると気持ちいいだろ」
ククールは包皮を弄りつつ、鈴口から漏れた精液で亀頭をゆっくりと撫ぜた。
「も、もう……果て、たッ……と」
「ホントか? まだ出るだろ。溜まってたんだから」
ククールは左手でマルチェロの性器を包み込み、水音を立てた。
「んうっ……さわ、るな」
肩越しにマルチェロの顔が見える。その表情は、苦痛に歪みながらも恍惚を湛えていた。
「ほら、また硬くなってきた……」
マルチェロは息を荒くし、震える手でククールの腕を掴んだ。拒絶のようにも、縋るようにも見える仕草だった。
「は……ハァッ、だめ、だッ、漏れ、漏れる」
生理的な涙で濡れたマルチェロの下まつ毛が、煌めいて見えた。本気で焦り悶えるマルチェロにククールは少し驚いたが、そこでふと、男も潮を吹くことがあると、かつて誰かから聞いた話を思い出した。なんでも潮を吹くときは、激しい尿意を感じるのだという。
「……ん? 潮か? 男も出すって……聞いたことある」
「う……うぁッ、だめ……だめだ、汚れ、るッ」
マルチェロは頭を振って、ククールの手技に抵抗した。ククールはマルチェロを抑えつけるように、マルチェロの熱い背に全身をぴったりと密着させた。
「だいじょーぶだいじょーぶ。シーツはオレが洗うから……ほら、出せよ」
ククールがマルチェロのうなじに唇を吸い寄せると、マルチェロの腰は打ち上げられた魚のように跳ねた。
「だめ、だッ……あっ……出るッ、ククールっ……!」
声を奪うように、ククールはマルチェロに深く口づけた。目は開いたまま、互いの瞳が映り込み、中間色に染まる。
続けざまに鈴口に爪を立てたことが契機となり、マルチェロの性器から、透明な液体が噴射された。マルチェロの背中は大きく弓なりに反り、喉からは絞り出すような声が断続的に漏れる。潮はぼたぼたと音を立てシーツに落ち、薄く大きな染みを作った。
「ふっ、あッ……」
激しい法悦に全身の力を失ったように、マルチェロはうつ伏せに倒れ込んだ。涜神的な快楽の残滓に、全身が細かく律動する。
マルチェロの身体をじっくりと観察しながら、ククールは口笛を吹いた。
「すっげえ……男の身体の神秘だな」
ククールの揶揄に、マルチェロは我に返った。
「あッ、ぐッ……う……だま、れ……こんな……」
マルチェロはしばらく息を荒げ、全身を震わせていた。やがて、無理やり深呼吸して起き上がると、少し乾き始めた布巾で、力なく汚れたところを拭い出した。
「ああ……オレ、やるよ」
マルチェロも疲れているのか、何も言わずにククールへと布巾を差し出した。
「無理に触って、悪かった。あんたが魅力的すぎてさ……」
ククールはマルチェロの全身を拭き終わり、自身の手も拭った。
マルチェロは髪を結びながら立ち上がり、素早く下履きを履いた。ベッドに腰掛けると、マルチェロは吐き捨てるように言った。
「途中から、馬鹿馬鹿しくてたまらなかった……これが、健全な男か。ソドミーに身を委ね、子種を無駄にするこの行いが?」
先ほどまで快楽で忘我の淵にいたとは思えないほど、マルチェロの瞳には理性が戻っていた。ククールは顎に手を当て、マルチェロの横に腰掛け、問いに答えた。
「……ま、機能としては問題ないわけだ。種無しじゃないし」
「詭弁で煙に巻こうとするな。これが、普通でないことなど分かりきっている」
「普通なんて、あってないようなものさ。過去の歴史じゃ当然でも、今はありえねえことなんてザラにある。あんたも博識なんだから、知ってるだろ」
マルチェロはちらりとククールを横目に見てから、小さく呟いた。
「古代に存在した大国では、少年愛が盛んだった。男同士での愛こそが真実の愛と、もてはやされていたそうだ。だが、寵愛を受けた少年は人として認められていたわけではない。女性の代わりに、慰み者にされていただけだ」
「聞いたことあるな、その話……」
「豪奢な天井を見上げ、己の無力に打ちひしがれる……私は、そうなりたくない」
マルチェロは床を見つめ、そう言った。その横顔は涼しげで痛々しかった。
さっきまでの出来事はこの男にとっては単なる傷つけ合いに過ぎなかったのかもしれない。それでも、お互いの熱を晴らしたことに何の意味もないとは思えなかった。
長い沈黙の後、ククールは燃え尽きた油皿の芯を見ながら言った。
「まだあんたの過去に何があったのか、はっきりと知らない。あんたの口からそれを聞くことが難しいのも、わかってる。気にするな……って言っても無理だろうけどさ。心だけは、自由になれる。オレが向いてない修道院での暮らしを送れたのも、心は自由だったからさ」
ククールの言葉を受けて、マルチェロはため息混じりに言葉を漏らした。
「身体から心を変えられることもある」
「……それって、オレとあんたの話?」
ククールはマルチェロの顔を覗き込んで言った。マルチェロは呆れたように鼻で笑った。
「さあな。恥知らずめ」
マルチェロはその唇の端に諦念と自嘲が混じり合った、わずかな笑みさえ浮かべてみせた。
部屋の空気は温く、夜明けの予感を感じさせた。
それから、二人は汚れていないククールのベッドで泥のように眠った。
翌日ククールが干したシーツはシワだらけで、マルチェロがもう一度洗濯し直した。
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