Worker Bee's Honey

Lost_and_Found/短編/Worker_Bee's_Honey

 ククールがマイエラ修道院に来てから、初めての待降節が始まった。
 朝八時の一時課の後、聖堂騎士、修道士、助修士たちは参事会室に集められ、オディロ修道院長からそれぞれの仕事を割り振られた。
 待降節の第一日曜に行われるミサに合わせ、マイエラ修道院は礼拝堂の飾り付け、降誕場面の模型の組み立て、聖歌の練習など、種々の準備に追われている。
 仕事を割り当てられた者から参事会室を後にし、最後に五人の助修士が残った。皆、不安そうに周りを見ている。
 皆同じくらいの歳だ、とククールは思った。
 十は超えていない年の頃の子供たち。中には顔見知りもいる。オディロ院長は何をお命じになるのだろうか。
「さて。君たちにはウーブリを作ってもらおう。施物係が熱を出してしまってな」
 ウーブリは、ミサの際に用いられる無酵母パンから生まれたお菓子だ。通常のミサのときは修道院の外で市井の人々に売られている。待降節の際は、貧者に配られるのが通例となっていると聞いた。
 オディロ院長は優しい声で言ってから、はたと気がついたように二又の髭を撫でた。
「……ふむ。君たち、ウーブリを作ったことは?」
 ククールを含めた四人は首を横に振ったが、一人は施物係に教わったことがあると言った。
「では、ジーノの指示に従うように」
 オディロ院長はにこやかに五人を見送った。

 ジーノはククールの少し後に修道院に来た助修士だった。顔は知っているが、あまり話したことはない。年は五人の中では一番上のようで、背もククールより少し高い。くるくると巻いた赤毛と、涼し気な切れ長の目が特徴的だ。
 厨房に向かって皆と歩いている道中で、ククールはジーノと目が合った。何を話していいかわからず目だけを合わせていると、「初めて同じ聖務になりますね」とジーノが話しかけてくれた。
 子供なのに、やけに丁寧な喋り方だった。
「そうだね。同じ頃に修道院に来たのに」
「はい。僕は施物係の兄弟と一緒にいることが多かったので」
 ククールは看護係の下で聖務を行う事が多かった。回復魔法の才を見出されてのことだった。とはいっても、まだ回復魔法を習得できたわけではなかったが。
「ぼくは看護係だよ。だから会わないんだな」
 ククールがそう言うと、話はそこで終わった。

 聖堂騎士や修道士は、待降節の間は断食しなければならない。日没後は水と軽食をとることが許されるが、肉、卵、乳や酒はとらない。
 そのため、午前中の厨房には誰もいなかった。ただでさえ腹が空くのに、わざわざ厨房を訪れる者は厨房係以外にいないのだ。
 ククールたちは厨房でジーノの指示を仰いだ。
「いつもは小麦粉とワインと水を混ぜ、鉄板に挟んで焼くだけだったと思うんですが、待降節のときは蜂蜜を入れると聞きました」
「そうなの?」「まず、材料を探そうよ」と、助修士たちは口々に言う。
 五分ほど厨房内を探したが、蜂蜜だけが見つからなかった。
「養蜂の森の近くの納屋じゃない?」と誰かが言った。
「なら、僕たちで探しに行きましょう。三人は、ウーブリを入れる大きな編みかごを探してきてくれますか? おそらく写字室近くの納屋にあるはずです」
 皆納得し、二手に分かれて厨房を後にした。

 ククールとジーノが回廊を歩いていると、前から聖堂騎士見習いの集団がやってきた。皆たくさんの本や荷物を抱えている。何かを運ぶ途中なのだろう。ククールはその中に、ある人物がいることに気がついた。
――マルチェロだ。
 出会って以降、彼はぼくのことを完全に無視していた。一緒に聖務を任せられることはなかったし、マルチェロ自身が同じ聖務につくことを拒んでいると聞いた。
 オディロ院長から、彼が腹違いの兄だと聞かされたときは驚いた。だって、どうしたらいいかわからない。仲良くなれたらいいとは思うけど、母親が違う兄弟って複雑な関係な気がする。それに、「出ていけ」と言われたとき、彼はぼくのことをひどく恐れているみたいに見えた。怖がっている人と仲良くなることは難しい――両親がいた頃、庭に迷い込んだ野良猫と仲良くなるのに失敗したことを、ククールは思い出した。
 
 ククールはなるべく下を向いて、マルチェロとすれ違った。横目でマルチェロがこちらを見たのはわかったが、いつもの通り何も言われることはなかった。
「どうかしましたか?」と横のジーノが問いかけてきた。
「ううん、なんでもない」
 ククールは、努めて平静に言った。
「蜂蜜きっとありますよ」と、ジーノはずれた励ましをくれた。

 他の助修士の言った通り、養蜂の森の近くの納屋に蜂蜜が貯蔵されていた。
 納屋の管理係に頼み、台帳に使用用途を書いて、持っていった小瓶に蜂蜜を少し分けてもらった。
「全ての物を管理するなんて、大変だよね」
 ククールは管理係から離れたところでジーノに言った。
「そうですね」
「あの巣箱から、好きに蜂蜜を取って使いたいよ」
 わらで覆われた巣箱をククールは指差した。
「修道院はよく蜂の巣に例えられます。女王蜂が修道院長、その他は皆働き蜂……働き蜂が蜂蜜を食べていてはならないんです」
 ジーノは足元に転がっていた小石を蹴って、そう言った。やっぱり、彼はずいぶんと賢いようだった。

 厨房に戻ってくると、他の三人も編みかごを持って戻ってきていた。
「では、ウーブリづくりに取り掛かりましょうか」と、ジーノが言った。皆腕まくりをして、やる気は充分だった。
 一人が小麦粉を大きなボウルにあける。もう一人がゆっくりと水差しから量った水を注いでいく。
「どのくらい入れればいい?」
ククールはナイフで蜜蝋を削り、ワインの蓋を開けながらジーノに尋ねた。
「ワインはコップに一杯くらいでいいですよ」
 言われた通りにワインを量り、ボウルに入れる。他の二人はこぼさないように、慎重に生地を混ぜ始めた。わずかにとろみのある、さらっとした生地だった。
 ジーノともう一人の修道士は、留め具で繋がった、長い持ち手のついた二枚の鉄板を暖炉の火にかけて温めている。
「……だいぶ温まったんじゃない?」「そうですね」
 火の番をしている二人の準備は済んだようだ。
「混ぜ終わったら、生地を大さじで一杯すくって、この上に入れてくれますか」
ジーノはククールに向かって言った。なぜぼくなのかはわからないが、ジーノの指示に従おう。
 生地は滑らかになった。ククールはジーノの持つ鉄板へ生地をそっと流し入れた。
 じゅうっと言って、鉄板の上の生地が泡立っていく。鉄板を傾けながら、ジーノは生地を広げていく。もう一人は完全に手を離している。どうしたらいいのか、よくわからないようだ。
「持ち手を閉じて、挟みます」
ジーノはそう言って、開いていた鉄板の持ち手を閉じ、鉄板を回転させながら再び暖炉で温めた。
「薄いから、すぐ焼けると思いますが」
厨房には小麦粉の焼ける、香ばしく甘い香りが広がってきて、皆、思わず唾を飲んだ。
「もういいんじゃないでしょうか」
ジーノは暖炉から鉄板を取り出して、そっとその持ち手を開いた。
皆が鉄板の隙間を覗き込む。
「……できてるよ!」ククールは思わず大きな声を出した。
 均一に焼き目のついたウーブリができていた。マイエラ修道院の正門のステンドグラスと同じ、騎馬衛兵の柄が刻まれている。
 皆、感嘆の声を上げた。
「……これ、何枚作るの?」
「生地がなくなるまで、ですよ」ジーノは焼けたウーブリを平皿に出しながら言った。裏面もきれいに焼けていた。
「一枚に使った生地って、大さじ一杯だよね……」
ボウルにはたっぷりの真っ白な生地。
「二人で持って、交代しながら焼きましょう。……これ、すごく重たいです」
ジーノは汗をかいていた。ククールたちは思わぬ重労働を嘆く暇もなく、ウーブリを交代で焼き始めた。

 一方その頃、マルチェロは礼拝堂の飾り付けを終えたところだった。
 祭壇の天蓋、蝋燭、天使像の前に敷かれた天鵞絨の絨毯、壁のタペストリーに至るまで、礼拝堂は紫に包まれている。待降節の間はこの色を使わなければならないしきたりだった。
 マルチェロは礼拝堂の中央に立ち、ぼんやりとその光景を眺めていた。
 
 紫は悔悛を表す。この色は、今のマルチェロにとっては不愉快でしかなかった。
 今日、あの腹違いの弟とすれ違った。あいつの顔を見るだけで虫酸が走る。オディロ院長に注意を受けても、どうしても無理だ。
 聖典に載っていた、嫉妬ゆえに弟を殺した兄の話を思い出す。――僕はきっとあの兄の子孫なのだ。額にはその呪われたしるしがついているのだろう。
 身分が低いにも関わらず、聖堂騎士見習いになれたのは幸運だった。剣を振るっている間は、すべての憎しみを忘れられる。
 
 仮にも神の戦士の見習いとは思えぬ思考を自嘲し、マルチェロは礼拝堂を後にした。すでに他の騎士見習いは礼拝堂を出て、別の聖務にあたっている。そろそろ三時課の鐘がなる頃だ。
 広い回廊には、どこかから流れてきたらしい甘い芳香が漂っていた。香ばしい焼き菓子のような香り。蜂蜜も混じっているようだ。思わず、くうと腹の音が鳴った。
 断食には慣れたつもりだったが、待降節の間の四週間、これが続くのだと思うと気が滅入る。
 
 回廊の向かいからオディロ院長がやってきた。マルチェロは廊下の端で立膝をし、院長を出迎えた。
「おお、マルチェロ。礼拝堂の飾り付けは済んだのかな?」
 オディロ院長はマルチェロに楽な姿勢を取るように合図した。
「はい。滞りなく」マルチェロは膝を軽くはたきながら答えた。
「ところで、よい香りがするのう」
 オディロ院長は目を閉じ、うっとりとしている。
「ええ。施物のウーブリでしょうか?」
「厨房に様子を見に行こう。マルチェロ、ついて来なさい」
 マルチェロは、瓶を持って回廊を歩いていた腹違いの弟のことを思い出し、嫌な予感がしていた。あいつは、厨房の方からやってこなかっただろうか。
 前を歩く院長は、やけに上機嫌だった。

「ウーブリづくりは順調かな?」
 厨房の外から、誰かが声をかける。皆が見ると、オディロ院長だった。
「わっ! オディロ院長」「見に来てくださったんですか?」助修士たちは口々に言う。ククールたちはちょうど、すべての生地を使い終えたところだった。
 ククールはオディロ院長の後ろに、騎士見習いが控えていることに気がついた。視線がかち合う。
 
 ――やはりか。
 マルチェロは予期した通り、厨房にいる腹違いの弟の姿を認めて、眉を顰めて目を伏せた。
 この銀色の髪と空色の瞳――見るたびに、胸の奥が軋む。僕はこいつと関わるつもりもないのに、なぜこんなことをするんだろう。
 
 ククールもまた、目を伏せた。
 なぜ、彼がいるんだろう。参事会室で、マルチェロは礼拝堂の飾り付け担当と言われていたはずだ。
 オディロ院長の方を見ると、こちらに向かって微笑んでいる。心配しなくていい、と言った様子だった。
 
 オディロ院長はマルチェロと共に、厨房の中に入ってきた。
「うむうむ、よくできておるな」オディロ院長は編みかごに山盛りのウーブリを見て、満足そうに頷いた。
「これだけあれば、貧しい人々にも充分配れるじゃろう」
皆、ほっとした表情を見せた。しかし、ククールは表情を曇らせたまま言った。
「あの……これ……」
ククールは編みかごから別のボウルによけていた、割れたウーブリをオディロ院長に見せた。
「かごに詰めるときに割れちゃったんです。……ごめんなさい」
「……おや。ウーブリは割れやすいからの。割れていては受け取った人も気分が悪かろうな」
ククールは激しく怒られるときのように、身をすぼめた。オディロは続けてこう言った。
「マルチェロや。無駄を嫌うお前ならどうする?」
助修士たちは一斉にマルチェロに注目した。しかし、ククールだけは俯いたままだった。
「……家畜の餌にするしかないでしょう」
マルチェロが答えると、オディロは笑って言った。
「割れただけで、味は同じなのだろう? 正解は――」オディロ院長はウーブリの欠片を取ると、ひょいと口に入れた。
「とまあ、こうじゃ」
オディロ院長はウーブリを食べ終えると、「蜂蜜がちゃんと入っている」と言って、ジーノの頭を撫でた。
「……よいのですか? 日が昇っていますが」と呆れ顔のマルチェロが言う。日没までは断食の時間だ。
「いいのだよ。女神もお許しになってくれる。ほら、お前も食べなさい。このことは他の者には内密にな」
 マルチェロはククールの持っているボウルのウーブリを見ている。しかし、そのまま一向に動かなかった。
 ――マルチェロは自分が持っているボウルから、物を取りたくないのではないだろうか。
 そう思ったククールはボウルを調理台に置こうとしたが、オディロ院長がそれを制した。オディロ院長はマルチェロを、まるですべてを見通しているかのような、曇りのない瞳で見つめた。
 渋々といった様子で、マルチェロはククールの持っているボウルの中から、一欠片のウーブリを取った。
 薄焼きの生地がぱりぱりと音を立て、咀嚼されていく。マルチェロが、わずかに目を細めた。
 ククールは息を詰めてその様子を見守った。初めてマルチェロが自分の差し出したものを受け取ってくれた――そんな気がした。
 
 ククールは、久しぶりにマルチェロの顔をはっきりと見ることが出来た。
 やっぱり、ぼくとは全然似ていなかった。でも、どこか懐かしいような気がする。もしかすると、どこかが父に似ているのかもしれない。
 
 マルチェロの口元には、わずかに白い粉が残っていた。ククールがぼんやりとそれを見ていると、マルチェロは不愉快そうに口元を拭った。
 働き蜂が蜂蜜を食べていてはならない――ジーノはそう言ったが、働き蜂にも蜂蜜が必要なときがあるのだと思う。
 皆で割れたウーブリを分け合い、厨房には和やかな時間が流れた。オディロ院長がダジャレを言って、台無しになってしまったが。
 
 三時課の鐘が鳴って、皆、厨房を後にした。
  
 五人の助修士の尽力によって、例年通り第一日曜のミサでは、蜂蜜入りのウーブリが貧者に分け与えられた。

1 / 1
← 小説一覧に戻る

コメント